新・東京イラストJournal

イラストレーターのさくらみの日常絵日誌

浅田真央ちゃんに、あらためてありがとう♡

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人生の節目で、

何度も何度も勇気づけられてきた

浅田真央選手が、このたび、

現役引退を決意されました。

 

 

最近、テレビをまったく点けなくなって

いた私も、発表の翌日は、

「特番」の噂を聞きつけてスイッチオン。

 

最初の日の「特番」は、まだ

「本人不在」のまま、つなげた感があり、

呼ばれた松岡修造さんも、目がパチクリ。

言いたいことをガマンし、

どこか、納得しきっていないようす…

 

でも、翌日の「特番」は、

とても良かったです!

浅田真央26歳の決断 〜今夜伝えたいこと」

 

子供の頃からずっとインタビューを受け、

信頼してきたという、東海テレビ

渡辺克樹さんという方が聞き役で、

真央ちゃんは番組内でも「かっちゃん」と

親しく呼びかけていました。

 

実はこの方は、平昌オリンピックでの

浅田選手の活躍ぶりを放映する日を楽しみに

ずっと、浅田選手の密着取材を続けてきた方。

 

それが、ここでまさかの引退…

 

でも、だからこそ、本音も、笑みも、涙も、

交えながらの心温かいインタビューと

なったんですね。

 

しかもインタビューが行われたのは、

引退会見の数時間前。

 

あの引退会見で「晴れやかな気持ちです」と、

真っ白なスーツに身を包んだ浅田選手の笑顔、

美しさは、氷上の演技と同じように、

胸に刻まれましたよネ。

 

ああ、真央ちゃんってば、最後まで

なんて男前なの…

 

でも、その数時間前のインタビューの中で、

渡辺克樹さんは、

ちゃんと食い下がっていてくれました。

 

「でも… まだ、できるんじゃない?

 まだ滑れるんじゃない?」と。

 

そうなのです。やっぱり、そこです!!

 

私もこれまで、個人的には「大丈夫!

絶対に真央ちゃんは大丈夫!」と言い切って

平昌オリンピックでの姿を楽しみにして

きましたが、メディアでは「浅田選手不調」

という報道ばかりが取り沙汰され、そんな中で

なんとなく、今回の引退はしょうがないのか…

と思った部分もありました。

 

でも、番組内で流れた、浅田選手自身が自分で

引退を決める引き金となったと話した、

昨年2016年末の「全日本選手権」の演技の

映像を見たとき、 

 

正直なところ、あらためて思いました。

 

「うまいよ! 

 

 …うますぎる!

 

 ここで辞めてしまうには、

 あまりにもうますぎるよ、真央ちゃん!」

 

確かに、ジャンプは跳べなかった。

 

でも、ステップの美しさ!!!

 

こんなに、表現力が上達して、

今までで、最高に美しい演技のできる

浅田真央がいて、

他の人が誰も到達できない域にまで

達しているのに、どうして?

どうして辞めちゃうの? 真央ちゃん!!

 

でも、その後、いろんなVTRが流れて、

あらためて思いました。

 

浅田選手は、本当にトリプルアクセル

愛していたのだ、と。

 

膝も腰も、ジャンプのために、無理を

続けてきて、それは限界に達していた。

すべては浅田選手が自ら選択したことで、

だとしたら、ジャンプのレベルを下げてまでの

演技では、彼女にとっては意味がない。

心が燃え立たない。

 

ならば、これが真央ちゃんのスケートだし、

人生なんだと。

 

その深さに思い至ったとき、

私も涙が出て止まらなくなりました。

 

でも、すごいです…

 

だって、引退会見でもインタビューの中でも

左ひざの痛みとか、腰痛とかについては

結局、ただの一言も触れなかったんだもの。

 

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 (このイラストは、バンクーバー五輪で、

 浅田選手銀メダルの演技のあとの、

 涙のインタビューを聞いた翌日に書いた絵)

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ここで、浅田選手の

激動のスケート人生をざっと振り返ってみます。

 

2005年 

シニアデビューでトリプルアクセルを成功させ、

いきなりの初優勝。

 

しかし、翌年のトリノ五輪には年齢制限で出場

できず、翌年の試合からは同じ年の好敵手、

キム・ヨナ選手との熾烈なメダル争いが始まる。

 

キム・ヨナ選手との戦いは「待ったなし」で

始まっていたんですね)

 

2010年 

バンクーバー五輪 銀メダル、

そして、その直後の世界選手権の金メダル

 

(真央ちゃんも「このときの自分は鬼だった。

若かったし、あの頃は一番気も強かったし」

と笑って振り返っていました)

 

翌シーズンから、6種類全ジャンプの矯正に取り組む

 

2012年 

GPファイナル直前にお母さん危篤となり、

ファイナル欠場と、お母さん逝去

その2週間後にお母さんのために滑った

愛の夢」で2年ぶり5度目の

全日本選手権優勝

 

2013年 

スケートを続けていくことへの

心の火が消えてしまい、カナダの振付師

ローリー・ニコルのもとで休養。

 

ローリーが浅田選手にスケートの楽しさを

思い出させるために作った

「ユーナ・ガッタ・リズム」

の演技で見事復活&優勝

 

2014年 

ソチ五輪のSPで、まさかの失敗と、

翌日、フリーでの完璧な演技。

 

(小塚選手が、「普通はああいう失敗をする

と…まあ、少しは持ち直せるんだけれども、

24時間以内にあんな完璧な演技をするところ

まで持ち直せるかって言うと、普通はできな

いし、自分もできなかった」とお話されてい

ました)

 

そして、直後の世界選手権で、五輪では

失敗したSPでも、なんと「世界最高得点」を

マーク!(ん〜、なんて、ドラマチック!)

 

翌シーズン

「(現役か引退かは)ハーフハーフ」で

1年間の休養

 

2015年 

5月  復帰 

11月 中国杯優勝

12月 全日本選手権の会場に、

お姉さんの舞さんを呼ぶ。

「これが最後かもしれないから見ててね」

 

結果は…若手選手に次ぐ第3位。

 

その日の夜、ホテルの部屋で

ケーキをズラリと並べ、

選んだモンブランをおいしそうに

頬張ったあとで、舞さんに告げる浅田選手。

 

「もう今日が最後かなって思ってたけど…

人生ってそんなにできることないし。

(引退するかどうかは)

もう少し考えてみてもいいのかなって」

 

そして、2016年

引退を決めるきっかけになった

全日本選手権まで。

 

とにかく、とにかく、最後まで

ジャンプも諦めなかった。

 

そして、悩んで悩んで、

何度も立ち上がっては、トライして、

自分に向き合い続けた。

 

そのすべてが、真央ちゃんの人生、

真央ちゃんのスケートでした。

 

 

「『やり残したことはなんだろう」

と思うことはなかったので、本当に

すべてやり尽くしたんじゃないかと

思います」

(引退会見で、浅田選手本人の言葉より)

 

 

ありがとう! ありがとう、真央ちゃん!

 

本当にやりきってくれた。

出し切ってくれた。

 

 

浅田選手が16歳のとき、今回の

インタビュアーの渡辺さんに頼まれて

書いたフリップには、「将来の夢」として

「19歳 バンクーバー五輪金メダル」

のあとに、「20歳 真央リンクを作る」

と書かれていました。

 

「私もそうだったけど、(今の日本では)

 ちっちゃい子はみんな、

 ほんとちっちゃいリンクで

 (人の間をくぐって)練習してる。

 だから、大きな技も練習できるリンクが

 あったらいいなと思って」

 

その表情には16歳の夢とは思えないほどの

実感がこめられていました。

 

ステキな夢! きっと叶うに決まってる!

 

休養中に挑戦していた「世界ふしぎ発見」の

ミステリーハンター(キャスター)も

とても良かったし、

 

もちろん、フィギュアでのプロとしての

滑りもまだまだ楽しみ!

 

私の夢も広がります。

 

そして、できれば

2020年の東京オリンピックでは

開幕式で滑ってほしいo(≧▽≦)o

(夏だけど、代々木スケートリンクでの演技を多元中継するとかしてー!)

 

浅田真央ちゃんの第二の人生が、

これからも、ますます楽しみです。

 

…ということで、これからも♪

 

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以上、今日はいつにも増して

個人的感情と思い入れで書きました。

 

お付き合いいただき、ありがとう

ございました。

 

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