新・東京イラストJournal

イラストレーターさくらみの日常絵日誌

ゆるゆる推し活♪

(春になってから、急にクリスマスっぽく

 なってきた、うちのポインセチア

 


昨年の秋、だったかな。

 

若い友人が「ジャニーズが好きです」 

と言うのを聞いて、

自分の若い頃を思い出しました。

 

そもそも、

若い女の子とおしゃべりするのが、

楽しくて大好きな私。

 

「え?だれ、だれ?

 なんていうグループ?」

と聞いて、教えてもらったのが、

Snow Man」と「なにわ男子」です。

 

とりあえず、その頃ドラマで話題の

目黒くんだけは知っていたので、

 

彼を入り口に、私も

「推し」の世界をのぞいてみました。

 

Snow Manのメンバー全員を

覚えるまでに、

まるまる一ヶ月かかりましたが、

 

それぞれの個性が魅力的で、楽しく、

私の「ゆるゆる推し活」も

無事にスタートしました。

 

(ちなみに、なにわ男子はまだです⭐︎)

 

最初は「ゆり組?」「岩本兄弟?」

「あべこじ?」「だてらう?」

「さくふか?」

とナゾの言語に翻弄されましたが、

今はぜんぶ分かります。

 

メンバーはみんな好きですが、

(「箱推し」と言うらしい)

あえて言うなら、

私は「めめなべ」担です。

 

しょっぴーのツンデレは、

おもしろいし、可愛くて、

いちいちツボにささりますし、

 

めめは、やはりスマイルと低い声が

グッときます。

あと、あまりにもマジメで良い子過ぎるので、

「悪い女にひっかかりそうだ…」と、

余計な心配もしたりしています。笑

 

思えば、推しができた楽しさは、

若い頃にマッチファンだった時以来。

 

「今日は○時まで○スタジオにいて、

 それから○○雑誌の撮影ね」

なんて具合に、その頃は

マッチの一日のスケジュールを

常に把握。

 

と言うのも、

当時のアイドル雑誌

「平凡」や「明星」には、

親切なことに、

スターの大雑把な月間スケジュールが

なぜか載っていたんです。

 

その上で、

ありとあらゆるテレビ番組と

ラジオ番組と雑誌をチェックして、

かぶりつきで見聴きしながら、

過ごしたものです。

 

あの、無駄にあふれる

膨大なエネルギーは、なんだったのだろう。

 

やっぱりあれは、若い頃ならではの

ものだなー。

 

それに比べると、

今の「推し活」は、超ゆるゆる。

 

何せ息子くらいの人たちなので、

「ほんとにいい子だネ」

「面白いな、キミたち!」

「アハハ、やっちまってるな!」と

笑って見ています。

 

しかも、今の時代は、SNSが、

私のチョイスを「勝手に学習」して、

どんどん濃い「推し情報」を

流してくれるので、

 

テレビをまったく見なくても、

映像の一番おいしい所だけが

切り取られて流れてくるという。

 

これも、熱烈なファンの方のおかげ

なのでしょうが、

本当に、すごい時代になりましたね。

 

おかげで、寝る前のひととき、

彼らの活躍を垣間見て、

「ありがとね!明日もがんばろう」

と幸せな気持ちで、

眠りにつくことができます♪

 

よく言う「沼」ほどはハマって

いませんが、

SNSにつながる時間は、自然と

増えますね。

 

すると、当然ですが、

かなりの集中力がそっちに

持っていかれそうに…

 

パワーは限られているので、

うまくバランスを取っていかないと

 

と思いつつ、ほっこりの楽しみは

大切に♪

 

私でさえこうですから、

今、彼らがすごい人気なのも

よく分かります。

 

人気が出るとものすごく忙しくなるし、

マスコミも、意地悪な人たちが

目覚めて、

追いかけてくるようになるだろうし…

 

なかなか恋愛もままならないと

思いますが、

いやいや、そこは若い頃の花、

ちゃんと、恋愛も楽しんでいただきたい♪

 

そして、今まで苦労してきた分、

努力してきた分が、

しっかり報われるとイイなと

願っています。

 

 

やわらかな夕暮れどき

今年の桜は、

少しずつ咲いてくれたので、

 

 

 

 

ずいぶん長く

楽しませてもらいましたよね。

 

 

(いつも、真ん中の

トマトときゅうりのサンドイッチの

誘惑に負ける)

 

 


それでも

開花宣言から3週間目。

 

さすがに、とうとう?

 

 

でも、遠くから見ても、

「あそこの桜、

 まだ、ふわっと白いよ!」

という場所も。

 

もうちょっと…

 

もうちょっとだけ、

行けるかナ?

 

名残の花見♪

 

 

不意打ち

先日、亡き母の夢を、

久しぶりに見ました。

 

目覚めた時、

まだ夜中だったので、

 

とりあえず

モソモソッと、起き出して、

トイレに行きました。

 

そして、夢の中の

母の面影を思い出しながら、

「会いたいよ…」

と、いつものようにつぶやいた、

次の瞬間

 

「もうすぐ会えるよ」

 

って、返事が返って来たのです。

 

「えっ?」

 

いや、驚いたのなんのって…

 

これは母の声? 

 

いや、私の声?

 

夢??

 

いや、現実?

 

よく言う「予感」ってもの?

 

…と、いうことは、

 

「私、1週間後くらいに

 死ぬのかな?」

 

…急にドキドキしてきました。

 

声は、自分の中で

聞こえただけなんですが、

それにしても唐突で、

思いがけなくて。

 

まあ、寝ている時に見る夢とかも、

そんなものですけど、

とにかくびっくりしちゃいまして。

 

とりあえず、まだ半分眠っている頭で

思ったことは

 

「えーと、もし、

 1週間後に確実に死ぬとして…

 

 私、スッキリした気持ちで、

 この世から、卒業できるのかな?」

 

すると、自分の奥の方から、

一つ、バーっと

飛び出てきたものがあったのです。

 

さて、

 

「それは何だったでしょう?」

 

皆さんだったら、何が出てきますか?

 

きっと、それは、

人によって違うんでしょうね。

 

何かの物だったり、

 

光だったり、

 

映像だったり、

 

象徴だったり、

 

誰かと会うことだったり、

 

どこかに行くことだったり、

 

何かを見つけることだったり、

 

何かを成し遂げることだったり。

 

 

 

私の場合、

飛び出してきたのは、

一枚の「絵」の画像でした。

 

正確に言うと、「絵」ではなく、

私が普段「イラストルポ」と

呼んでいる「絵と文章が混ざったもの」

です。

 

その時、強烈に腑に落ちました。

 

「ああ、私は、

 今、持って生まれたこの身体で、

 これを大量に描いていない限り、

 スッキリできないんだな」って。

 

それは、

「もうすぐ会えるよ」という声が

自分の中に響き渡った時より、

さらに衝撃的でした。

 

うーん…

 

「思い残すことなく、今を生きよう」

とかって、

ふだんから言っている割には、

 

やっぱり死ぬ準備、

まだ、全然できてないんだな。

 

そんな強いものが、

自分の中に残っているなんて、

 

なんか、ほんとにビックリだ…

 

 

「生きることと、死ぬことは、

 イコールだ」

とは、よく言われますが、

 

あの夜、確かに私は、

一回死にました。

 

 

そして、あらためて、

「今という時間の真ん中に、

 生きていこう」

と思いました。

 

母サチボンに会える喜びより、

死ぬことの切迫感の方が

大きかったなんて…

母には申し訳ないのですけどネ。

(いや、笑ってるな、きっと)

 

とにかくヤバかった…!!

ヤバくて、面白い体験でしたよ。

 

 

花冷えも、またよし♪

寒い花冷えの日の

午前11時半過ぎ。

 

ここから、また、気温は

下がっていくそうです。

 

咲いたばかりの桜たちも

「しまった!早すぎた」

と震えているかな。

 

皆さま、あたたかくして

お過ごしください。



「非二元」がこぼれた瞬間

先日のお水屋での出来事です。

 

久しぶりの「茶通」で、

ちょっと長いお点前になりそうだからと、

慌てた瞬間、

 

私の指が… 濃茶器をつんと

押し倒してしまいました。

 

力学のことわりにしたがって、

 

お濃茶器は転がり、ふたが外れ、

中からお濃茶が、板の間に、

どっとこぼれ出ました。

 

「あっ! 申し訳ありません!!」

 

織田信長の時代なら、

国ひとつ分の価値があった

というお濃茶器。

 

それを倒した上に、貴重な

お抹茶までこぼしてしまったのですから、

 

「昔なら、切腹

 どころか打ち首ですね!

 どうしましょう、ごめんなさい…」

 

オロオロ、慌てました。

 

その時、晋彩先生は、

たまたまお水屋に

いらっしゃったのですが、

 

ニコニコしながら

懐からお懐紙を取り出し、

ゆっくり、ゆっくり、

こう、おっしゃいました。

 

「大丈夫、大丈夫。

 

 お茶が、こぼれた。こぼれなかった。

 

 状態としては、

 こぼれたか、こぼれなかったか、

 それだけのことなのね。

 

 人間は、そこに、色をつけるの。

 

 好きとか、嫌いとか。

 良いとか、悪いとかね。

 

 でも、その二つを超えたところに、

 『悟り』があるのね」

 

幸い、お濃茶器は無事でしたし、

お抹茶も、先生がきれいに

お懐紙にまとめ上げてくださいました。

 

それだけでも大変ありがたくて、

ためになる経験だったのですが、

 

「ああ、私、今、ものすごいお言葉を

 耳にしてしまったぞ」

 

という衝撃が、私の中で、

さざなみのように広がっていました。

 

と言うのも、時々、

このブログにも書かせていただいて

いることですが、

 

私が今、人生のテーマと

していることこそ、

この、「非二元」で、

 

それを先生は、

ただ、私が慌てないで済むように

という優しさから、

 

さらっと言葉にされたのです。

 

たぶん、先生は、これが俗に言う

「非二元」と呼ばれている事だとか、

そういう事もご存知ではないのです。

 

でも、

私はこれまで「非二元」について、

実際に、こうして言葉にして話す方に

出会ったことがなく、

 

それが、お茶の先生から

あまりにもさりげなく、

当たり前のように

発せられたことに、

心底びっくりしていました。

 

後日、朋友に、

「ねえねえ、聞いて。

 こんなすごいことがあったんだ」

とこの話をしたら、

 

朋友はこう言ってくれました。

 

「うん。うん。すごくわかるよ。

 

 これを、さくらに教えてあげようとか、

 そういう意図的なことじゃなくって、

 

 普段から、先生の芯にあることだから、

 そういう時にも、

 さらっと出てくるんだよね」と。

 

そうなのです。

本当にそうなのです。

 

晋彩先生のすごさ、優しさは、

 

いつもあまりにも大きく、

そしてさりげなさすぎて、

 

私にとっては、

もはや、不思議の世界です。

 

こうしてまた、龍のしっぽが、

キラッと光って、雲の向こうに消え…

 

そして、いつものように、

奥様にやり込められながら、

ニコニコ笑っておられる

先生の笑顔が残りました。

 



この日は、ちょうど先生の

86歳のお誕生日の2日前。

 

同じ曜日の弟子一同で、

にぎやかにお祝いさせていただきました。

 

パーティー用の帽子も

喜んでかぶってくださり、

 

こんなに丁寧にお辞儀を

返してくださる師匠が、

一体、どこにおられるでしょうか。

 

先生、どうか、これからも

末長くお元気で、

茶の道をお示しください。

 

 

 

不肖の弟子は、龍のしっぽを

追いかけます。