新・東京イラストJournal

イラストレーターさくらみの日常絵日誌

探求は、いつ終わるのか

毎回、何でもメモするノートを

新しくするたび、

最初のページに書く言葉が

こちらです。 

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「思考から自由になって、

 頭を空っぽにする」

 

これは、私にとって、

とても大事な

日常的トレーニングです。

 

そこに最近、新しいトレーニン

が加わりました。

 

その名も

「ノンデュアリティ」(非二元)

です。

 

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最近、その関係の本を

ずっと読んでいるのですが…

 

いい暇つぶしになります。

なにせ、よく分からないので。

 

いわゆる「悟り」の話で、

すごく大切なことが書いてある

のは何となくわかるのですが、

頭では理解できない。

 

なので、ひたすら実践するしか

ありません。

 

実践することも、簡単です。

 

・常に「今ここ」にいる。

 (いようとする)

 

・頭の中で「おしゃべり」が

 始まる瞬間をつかまえる

 

それだけ。

もう少し、具体的に言いますと、

 

・自分のアタマを見張り、何か

 『考え』が浮かんできたら

 「あ、『考え』が浮かんできた。

  この考えを創ったのは…

  そう、私ね〜」

 と自覚する。

  

・ご飯を作ったり、食べたり、

 そうじをしたり、仕事をしたり、

 歯磨きしたり。

 何かをするときは、

 何となくするのではなく、

 一挙手一投足の動きや感覚に

 集中する。

(いわゆるマインドフルネスですね)

 

・止まっているときは、

 「あ、足の裏に

  重力がかかっているなー」

 など体の感覚を感じたり、

 周りの音を聞いたり、

 通り抜けていく風を感じたり

 している。

 (できるだけ言語化せず、

  感覚で味わう)

 

という感じです。

 

簡単…なはず。

 

なのに、これがなかなか難しくて、

意識はしょっちゅう

「今」を離れてさまよいだします。

 

でも、離れてもいいのです。

 

それは普通のことなので、

「あー、離れた〜」とわかって、

戻ってくればいいのです。

 

これらは、いつもの日常の中で、

いつ、どこにいても、できる

というのがいい所です。

 

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さて、

こんなことをして、どうなるのか。

 

ある日、ふと、すべての底が

抜け落ちるんだそう。

 

面白い。

面白い。

 

また、すごいなと思うのが、

どの本を読んでも、まったく

同じことが、ちょっとずつ違う、

別の表現で書いてあるのです。

 

なので、途中、

すっ飛ばして読んだりしても

全然オッケー。

「本筋」が分からなくなった

ときだけ、

本に戻ってみる感じです。

(実際にやってみると、

 結構あります)

 

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どの本にも出てくることとは、

たとえば…

 

「不安、イライラ、悲しみ、怒り。

 喜び、幸せ感。

 

 理想、現実。

 好き、嫌い。

 良し、悪し。

 過去、未来。

 

 二元の価値観で組み立てた

 あなたの人生ドラマ、ストーリー。

 

 リアルに感じているそのすべてが、

 実はまぼろし(妄想)」

 

「私たちは、ほとんどの時間を

 二元に分けた基準と、その妄想で

 組み立てたストーリーで、

 頭をいっぱいにして過ごしている。

 

 その感情や、価値判断は、

 自分でも意識できないくらい

 自動的に、

 勝手に、湧いてくる。

 

 が、基本的には、ただ、

 自分にとって都合のよいことを

 選択して、

 あれはダメ、これは良いと

 色をつけているだけ」

 

「現実は『鏡』。

 

 自分で勝手に色づけした、

 選択や色が、そのまま

 反射して自分に返ってきている。

 

 その世界を創ったのは自分」

 

「自分の都合をもとに、

 勝手に創り出した基準で、

 日常の何気ない、すべての行動が

 選択され、

 

 それがあまりにも

 自動的に起こり、習慣化されて

 いるため、

 

 私たちは、そのまぼろし

 創った世界を

 自分で創ったとも気づかず、

 

 リアルで切実な現実と錯覚して、

 自分がそこに、完全に

 組み込まれていると感じながら、

 生きている」

 

「できるだけ、

 良いストーリーを生きたい。

 

 さまざまなことを

 自分の思い通りにしたい。

 コントロールしたい。

 

 社会的に認められたい。

 外から評価されたい。

 

 今、理想を達成できない自分は、

 不足している存在なので、

 もっと完全な状態にしたい。

 

 不足している自分は

 許せない。

 不足している自分を避けたい。

 

 そうやって、すべてを

 コントロールしたがる。

 

 それが、すべての

 苦しみの原因」

 

「そして、何か手に入れて、

 一瞬は満足できたとしても、

 

 次の瞬間、

 もっと良くなりたいと、

 何かを求めて走り出す。

 

 そのため、いつも

 何かを計算しており、

 

 自分にはうまくできない

 という幻滅が繰り返される。

 

 重苦しさをかかえたまま、

 探求は決して終わらない」

 

「そもそも、自分さえ色づけ

 しなければ、

 すべては今、あるがままで、

 既に完璧。

 

 今、ここに、すべてはある。

 

 何かを探して、どこかに行く

 必要もないし、

 何もコントロールする必要はない」

 

「自分に起こる感情も、

 

 自分を含め、生き物や

 椅子や机などの物質も、

 

 すべてはただのエネルギーで、

 現れては、去っていくもの。

 

 今、ここには、何かの縁が

 積み重なって、起きている

 現象があるだけ」

 

「でも、ほとんどの人は、

 頭の中で創った幻(妄想)の中で、

 息苦しさをかかえながら、

 過去や未来をさまよっている。

 

 それよりも、

 今、この一瞬だけ、

 目の前に、顕現している真実。

 

 この「今」と、

 ひとつになるとも思わずに、

 一緒に、ただ、在る」

 

「そして、ある日、

 すべての底が抜け落ちる。

 

 それが悟り」

 

…というような感じでしょうか。

 

ちなみに、すべての底が

抜け落ちたとき、どうなるのか。

  

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「すべてはひとつ。

 

 あらゆるものとの

 境界線はなくなり、

 

 もはや、そこに私はいない。

 

 そして、すべてが

 そこに在る」

 

 (色即是空 空即是色)

 

ということが、

腑に落ちるんだそうです。

 

わ〜ん、面白すぎる…。

 

たぶん、

今までやろうとしてきた

どのことよりも、

シンプルで簡単で、

視点がスイッと反転する

くらいのことなんだな。

 

でも頭で考えているうちは、ダメ。

 

まるで、自分の尻尾を追いかけて、

グルグル回っているみたいな気分。

ハハハ…( ´ ▽ ` ) です。

  

なんだかんだ言って、

「何かをやろうとしている」

感じがあるということは、

 

つまるところ、

どこかにまだ、

何かがあるような気が

しているわけで、

 

「探求はいつ終わるのか」

と考える時点で、

「探求は終わっていない」

ということなのです。

 

 が、本当は

「探求する必要がない」。

なぜなら、

すべては、すでに

「ここ」にあるから。

 

なのに、

 

どうして、今ここにある奇跡を

スルーして、

「幻想」のほうにすぐ、

頭が行っちゃうのかなーーー?

 

んー???

 

 

ということで、

もう一度始めからやり直し!

 

ということになるわけです。

 

面白い。

 

面白い。

 

 

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そのあと、起こった小さな変化

sakura-cafe.hatenablog.com