新・東京イラストJournal

イラストレーターさくらみの日常絵日誌

「非二元」がこぼれた瞬間

先日のお水屋での出来事です。

 

久しぶりの「茶通」で、

ちょっと長いお点前になりそうだからと、

慌てた瞬間、

 

私の指が… 濃茶器をつんと

押し倒してしまいました。

 

力学のことわりにしたがって、

 

お濃茶器は転がり、ふたが外れ、

中からお濃茶が、板の間に、

どっとこぼれ出ました。

 

「あっ! 申し訳ありません!!」

 

織田信長の時代なら、

国ひとつ分の価値があった

というお濃茶器。

 

それを倒した上に、貴重な

お抹茶までこぼしてしまったのですから、

 

「昔なら、切腹

 どころか打ち首ですね!

 どうしましょう、ごめんなさい…」

 

オロオロ、慌てました。

 

その時、晋彩先生は、

たまたまお水屋に

いらっしゃったのですが、

 

ニコニコしながら

懐からお懐紙を取り出し、

ゆっくり、ゆっくり、

こう、おっしゃいました。

 

「大丈夫、大丈夫。

 

 お茶が、こぼれた。こぼれなかった。

 

 状態としては、

 こぼれたか、こぼれなかったか、

 それだけのことなのね。

 

 人間は、そこに、色をつけるの。

 

 好きとか、嫌いとか。

 良いとか、悪いとかね。

 

 でも、その二つを超えたところに、

 『悟り』があるのね」

 

幸い、お濃茶器は無事でしたし、

お抹茶も、先生がきれいに

お懐紙にまとめ上げてくださいました。

 

それだけでも大変ありがたくて、

ためになる経験だったのですが、

 

「ああ、私、今、ものすごいお言葉を

 耳にしてしまったぞ」

 

という衝撃が、私の中で、

さざなみのように広がっていました。

 

と言うのも、時々、

このブログにも書かせていただいて

いることですが、

 

私が今、人生のテーマと

していることこそ、

この、「非二元」で、

 

それを先生は、

ただ、私が慌てないで済むように

という優しさから、

 

さらっと言葉にされたのです。

 

たぶん、先生は、これが俗に言う

「非二元」と呼ばれている事だとか、

そういう事もご存知ではないのです。

 

でも、

私はこれまで「非二元」について、

実際に、こうして言葉にして話す方に

出会ったことがなく、

 

それが、お茶の先生から

あまりにもさりげなく、

当たり前のように

発せられたことに、

心底びっくりしていました。

 

後日、朋友に、

「ねえねえ、聞いて。

 こんなすごいことがあったんだ」

とこの話をしたら、

 

朋友はこう言ってくれました。

 

「うん。うん。すごくわかるよ。

 

 これを、さくらに教えてあげようとか、

 そういう意図的なことじゃなくって、

 

 普段から、先生の芯にあることだから、

 そういう時にも、

 さらっと出てくるんだよね」と。

 

そうなのです。

本当にそうなのです。

 

晋彩先生のすごさ、優しさは、

 

いつもあまりにも大きく、

そしてさりげなさすぎて、

 

私にとっては、

もはや、不思議の世界です。

 

こうしてまた、龍のしっぽが、

キラッと光って、雲の向こうに消え…

 

そして、いつものように、

奥様にやり込められながら、

ニコニコ笑っておられる

先生の笑顔が残りました。

 



この日は、ちょうど先生の

86歳のお誕生日の2日前。

 

同じ曜日の弟子一同で、

にぎやかにお祝いさせていただきました。

 

パーティー用の帽子も

喜んでかぶってくださり、

 

こんなに丁寧にお辞儀を

返してくださる師匠が、

一体、どこにおられるでしょうか。

 

先生、どうか、これからも

末長くお元気で、

茶の道をお示しください。

 

 

 

不肖の弟子は、龍のしっぽを

追いかけます。