新・東京イラストJournal

イラストレーターさくらみの日常絵日誌

不意打ち

先日、亡き母の夢を、

久しぶりに見ました。

 

目覚めた時、

まだ夜中だったので、

 

とりあえず

モソモソッと、起き出して、

トイレに行きました。

 

そして、夢の中の

母の面影を思い出しながら、

「会いたいよ…」

と、いつものようにつぶやいた、

次の瞬間

 

「もうすぐ会えるよ」

 

って、返事が返って来たのです。

 

「えっ?」

 

いや、驚いたのなんのって…

 

これは母の声? 

 

いや、私の声?

 

夢??

 

いや、現実?

 

よく言う「予感」ってもの?

 

…と、いうことは、

 

「私、1週間後くらいに

 死ぬのかな?」

 

…急にドキドキしてきました。

 

声は、自分の中で

聞こえただけなんですが、

それにしても唐突で、

思いがけなくて。

 

まあ、寝ている時に見る夢とかも、

そんなものですけど、

とにかくびっくりしちゃいまして。

 

とりあえず、まだ半分眠っている頭で

思ったことは

 

「えーと、もし、

 1週間後に確実に死ぬとして…

 

 私、スッキリした気持ちで、

 この世から、卒業できるのかな?」

 

すると、自分の奥の方から、

一つ、バーっと

飛び出てきたものがあったのです。

 

さて、

 

「それは何だったでしょう?」

 

皆さんだったら、何が出てきますか?

 

きっと、それは、

人によって違うんでしょうね。

 

何かの物だったり、

 

光だったり、

 

映像だったり、

 

象徴だったり、

 

誰かと会うことだったり、

 

どこかに行くことだったり、

 

何かを見つけることだったり、

 

何かを成し遂げることだったり。

 

 

 

私の場合、

飛び出してきたのは、

一枚の「絵」の画像でした。

 

正確に言うと、「絵」ではなく、

私が普段「イラストルポ」と

呼んでいる「絵と文章が混ざったもの」

です。

 

その時、強烈に腑に落ちました。

 

「ああ、私は、

 今、持って生まれたこの身体で、

 これを大量に描いていない限り、

 スッキリできないんだな」って。

 

それは、

「もうすぐ会えるよ」という声が

自分の中に響き渡った時より、

さらに衝撃的でした。

 

うーん…

 

「思い残すことなく、今を生きよう」

とかって、

ふだんから言っている割には、

 

やっぱり死ぬ準備、

まだ、全然できてないんだな。

 

そんな強いものが、

自分の中に残っているなんて、

 

なんか、ほんとにビックリだ…

 

 

「生きることと、死ぬことは、

 イコールだ」

とは、よく言われますが、

 

あの夜、確かに私は、

一回死にました。

 

 

そして、あらためて、

「今という時間の真ん中に、

 生きていこう」

と思いました。

 

母サチボンに会える喜びより、

死ぬことの切迫感の方が

大きかったなんて…

母には申し訳ないのですけどネ。

(いや、笑ってるな、きっと)

 

とにかくヤバかった…!!

ヤバくて、面白い体験でしたよ。

 

 

「非二元」がこぼれた瞬間

先日のお水屋での出来事です。

 

久しぶりの「茶通」で、

ちょっと長いお点前になりそうだからと、

慌てた瞬間、

 

私の指が… 濃茶器をつんと

押し倒してしまいました。

 

力学のことわりにしたがって、

 

お濃茶器は転がり、ふたが外れ、

中からお濃茶が、板の間に、

どっとこぼれ出ました。

 

「あっ! 申し訳ありません!!」

 

織田信長の時代なら、

国ひとつ分の価値があった

というお濃茶器。

 

それを倒した上に、貴重な

お抹茶までこぼしてしまったのですから、

 

「昔なら、切腹

 どころか打ち首ですね!

 どうしましょう、ごめんなさい…」

 

オロオロ、慌てました。

 

その時、晋彩先生は、

たまたまお水屋に

いらっしゃったのですが、

 

ニコニコしながら

懐からお懐紙を取り出し、

ゆっくり、ゆっくり、

こう、おっしゃいました。

 

「大丈夫、大丈夫。

 

 お茶が、こぼれた。こぼれなかった。

 

 状態としては、

 こぼれたか、こぼれなかったか、

 それだけのことなのね。

 

 人間は、そこに、色をつけるの。

 

 好きとか、嫌いとか。

 良いとか、悪いとかね。

 

 でも、その二つを超えたところに、

 『悟り』があるのね」

 

幸い、お濃茶器は無事でしたし、

お抹茶も、先生がきれいに

お懐紙にまとめ上げてくださいました。

 

それだけでも大変ありがたくて、

ためになる経験だったのですが、

 

「ああ、私、今、ものすごいお言葉を

 耳にしてしまったぞ」

 

という衝撃が、私の中で、

さざなみのように広がっていました。

 

と言うのも、時々、

このブログにも書かせていただいて

いることですが、

 

私が今、人生のテーマと

していることこそ、

この、「非二元」で、

 

それを先生は、

ただ、私が慌てないで済むように

という優しさから、

 

さらっと言葉にされたのです。

 

たぶん、先生は、これが俗に言う

「非二元」と呼ばれている事だとか、

そういう事もご存知ではないのです。

 

でも、

私はこれまで「非二元」について、

実際に、こうして言葉にして話す方に

出会ったことがなく、

 

それが、お茶の先生から

あまりにもさりげなく、

当たり前のように

発せられたことに、

心底びっくりしていました。

 

後日、朋友に、

「ねえねえ、聞いて。

 こんなすごいことがあったんだ」

とこの話をしたら、

 

朋友はこう言ってくれました。

 

「うん。うん。すごくわかるよ。

 

 これを、さくらに教えてあげようとか、

 そういう意図的なことじゃなくって、

 

 普段から、先生の芯にあることだから、

 そういう時にも、

 さらっと出てくるんだよね」と。

 

そうなのです。

本当にそうなのです。

 

晋彩先生のすごさ、優しさは、

 

いつもあまりにも大きく、

そしてさりげなさすぎて、

 

私にとっては、

もはや、不思議の世界です。

 

こうしてまた、龍のしっぽが、

キラッと光って、雲の向こうに消え…

 

そして、いつものように、

奥様にやり込められながら、

ニコニコ笑っておられる

先生の笑顔が残りました。

 



この日は、ちょうど先生の

86歳のお誕生日の2日前。

 

同じ曜日の弟子一同で、

にぎやかにお祝いさせていただきました。

 

パーティー用の帽子も

喜んでかぶってくださり、

 

こんなに丁寧にお辞儀を

返してくださる師匠が、

一体、どこにおられるでしょうか。

 

先生、どうか、これからも

末長くお元気で、

茶の道をお示しください。

 

 

 

不肖の弟子は、龍のしっぽを

追いかけます。



サーモ珈琲 vs. 陶器コーヒー

サーモマグで、ずっと冷めない珈琲が

飲めると聞いて、

早速買って、淹れてみました。

 

…ん? ん〜っ?

 

…何か、違う。

 

まず、味が違う。カタイ。

 

口当たりも違うし、

持った感触も、何か、違う。

 

その後、陶器に戻ってみて、

分かりました。

 

私は、手で持って温かいと、

感じることができる容れ物が

好きなのだと。

 

珈琲が、最初熱くて、

だんだんと冷えていく、

味わいの変化も含めて

好きなんだと。

 

そう言えば、口当たりも、

金属じゃないものが好きで、

家にあるスプーンとフォークは

みんな木でした。

 

と言うわけで、せっかく買ったのに、

ごめんなさい、サーモマグちゃん。

 

でも、買ってみないと

分からなかったのよ〜。

 

 

追記:

その後、取っておいても絶対に

使わないだろうと思い、

一回捨てかけましたが、

調べてみると、サーモマグの

本当の活躍期は、夏みたいです。

 

氷を入れてキンキンにして飲んでも、

雫が落ちないまま、飲めるのが

すごく良いんだって。

 

と言うことで、ゴミ箱から救出。

 

夏も基本的には、熱いものしか

飲まないのですが、

 

アルコールも飲まないのですが。笑

 

何かで試してみようと思います。

 

夏にまた、会いましょう♪

 

 

 

シンプルな体質♪

珈琲を飲むことと、

絵を描くこと。

 

人生に、この二つさえあれば、

大抵のことはリセットできるし、

一瞬で幸せになれる

 

…と、たった今、気がつきました。

 

どちらも、

ほとんどお金がかからず、

簡単にできることなのがすごい!

 

生まれてきて、良かった〜!!笑