新・東京イラストJournal

イラストレーターさくらみの日常絵日誌

2023まとめ(1)心は作れる!?

ロボット工学博士で、

人間の幸福学も研究されている

前野隆司さんの本によると、

ロボットにも「心」を持たせることが

できるのだそうです。

 

心を持ったロボット…

と言うと、

すぐに思い浮かぶのは、

スターウォーズのドロイドたち、

BB-8、R2-D2C-3POかな。

 

C-3POなんて、空気が読めなくて、

真面目すぎて、みんなにいつも、

ちょっと面倒くさがられている。

 

映像の端っこに、ぎこちなく、

歩いてくる姿が見えるだけで

「あ、また何かやらかして

 叱られるんじゃない?」

と愉快になる、愛すべき存在で、

要所要所で和ませてくれますよね。

 

あんな面白いロボットたちが

普通にいつも隣にいて、

話しかけてくる世界が

そろそろやってくるのかも。

 

ところで、

「心を持ったロボットは、

 作ることができるのではないか」

と前野さんがおっしゃるのは、

何故かと言えば、

 

人間の「心」の仕組みが、

私たちが思っているような、

神様が作った、精巧で、難解で、

真似ができないような、

ご大層なものではなくて、

 

実は、言い方によっては、

どうやら、組み立て可能な、

一つの「仕組み」、

「錯覚によるカラクリ」

のようなものであるから

のようです。

 

たとえば私たちは普段、「心」が

自分のリーダーであるかの

ように思ったり、

自分の「意思」によって物事を

決定したかのように思っていますよね。

 

けれど、実際には、例えば

「自分が、こういう行動をしようという

 意思を持った」

と意識するタイミングは、

0.35秒も、行動より遅いことが

確かめられています。

(リベットの実験、その他多くの実験より)

 

つまり、行動の方が先で、

意識は中心にはいない。

 

意識より先に、

自分の「無意識」の中にいる

小人たち(電気信号のようなもの?)が、

遺伝情報やこれまでの経験から、

「多数決」で決めた結果を、

自動的に表層に

浮かび上がらせてきた結果、

行動が起こっているだけで、

 

自分はそこには、

まったく関与していないし、

関与できていないのだそうです。

 

さらに言えば、

まったく関与していないくせに、

自分という意識は、

行動をとっくに始めたあとで、

「これは自分が意思を持ったから、

 行動しているのだ」

と後付けで、錯覚して、

思い込む仕組みになっている。

 

何故、そんな「仕組み」を、

脳がわざわざ作ったのかと言うと、

生物として、予期しないことが起こる

「未来」に備えるためで、

 

そのためには、

ただの記憶を羅列するより、

感情の起伏を織り込んで、

物語性を持たせた「エピソード記憶

にしておいた方が、

メリハリがついて、

大事なことが記憶しやすいから

とのことでした。

 

つまり、

エピソードを創作して

覚えやすくするために、

「心」というものが作られ、

 

独自の物語を作っては、

せっせと無意識の小人に

フィードバックを届けて、

また新たな行動の元を作っている

ということですよね。

 

この、脳が「過去を加工して、

エピソードとし、未来に備える」

という工程を作ることで、

人間の生活には、

「時間」というものが

生まれてくるのでしょう。

 

ちなみに、

この「エピソード記憶」は、

虫などは持っていないけど、

鳥や、哺乳類は持っている

可能性があり、

 

ゆえに、鳥や哺乳類も、

たぶん心を持っているはずだ、

というのが、前野さんの説でした。

 

そっか!

うちの裏手のビルに住む、

あの鳩さんたち、

心を持っているのね。

 

これは、小鳥が大好きな友人にも

早速教えてあげたい!

 

そして、何より面白いのは、

こうしたことが、仏教の世界では、

とっくの昔から見破られていた、

ということです。

 

偉そうに自分を牛耳っている

つもりの「自分」は、

実は「空(くう)」で、

 

「心」も「意思」も、

確かなものではないどころか、

関与すらしていない。

 

決定の場には

存在していない。

 

それどころか、完全に受け身で、

 

何かを決定づけたのは、

見えない「縁」と「無意識」の集積。

 

無量無数の「縁(つながり)」

の真ん中に、

ぽっかり空いた「空」。

 

私たちが自分だと

思っているものは、そんな、

ドーナツの穴みたいなものなのかも

しれません。

 

確かに、自分というものは、

人との関係性によって、

初めて輪郭ができるような存在です。

 

一人でいる時ですら、

頭の中の、エピソードの中にいて、

あーでもない、こーでもない、

こうすればいいのか、いや、

どうだろうと、幻と幻を組み合わせ、

すっかり、何かを

考えているつもりになっています。

いつも、ここにはいない。空っぽ。

 

さらに、

自分の人生を振り返ってみても…

 

色々な決定の場面はあったものの、

意識というより、逃れられない

「縁」の作った流れがあって、

結局は、

「自然の流れの中で、

 こうなったし、ああなった。

 ここまで、つくづく、

 一つしかない道だったなー」

と思うのです。

 

縁の中に、ぽっかり空いた、

自分不在の「空」が、

脳を使って「色」を見ている。

 

この「色(エピソード)」の世界を

仏教では「唯識(ゆいしき)」

と言います。

 

この世は、すべてが

自分の心が作った世界で、

その外側はない。

 

そんな世界が、

人の数だけ存在する、ということ。

 

(鳥や哺乳類も含めるとすれば、

 もっとたくさん)

 

たとえば、この時期、

黄色いイチョウの葉っぱが

散る街角で

信号機が赤や青に変わると、

「うっわー、キレイだなぁ…」と

感動してしまい、

 

そこから

「そういえば、何年前のこの時期に

 友人と旅したあのお寺にも

 イチョウが散っていて、

 すごくキレイだったっけ…。

 あの時は、確か母が亡くなった

 ばかりで、友人はそんな私を

 元気づけるために、さりげなく

 旅に誘ってくれて…」

と、どんどん過去まで

クオリア(多彩な脳内質感)が

広がっていくわけです。

 

でも、毎日落ち葉を掃いて

集めている人にとっては、

「あーぁ、こりゃー大変だ…

 明日は雨の予報だし、

 早く片付けないと、

 ツルツル滑ってしまうぞ」

というクオリアの方が

優先的に発動しているかもしれない。

 

無意識の小人たちの、

制御できない働き(空)が、

私たちの記憶に、エピソードという

個性(色)をつけ、

心があると思わせ、

たくさんの固有の世界を

生み出していく。

 

そして、そのすべてが、たとえ

電気信号で見えている幻で、

錯覚のカラクリであったとしても、

 

「今、生きている」と思い、

 

それを「クオリア(質感)として

感じていること、そのもの」が、

 

やっぱり、

すっごいアートだな〜

と思うんです。

 

   ↑

って、これも、

私の付けた「色」なんですけどね。

 

うわぁ、ほんと、どこまで行っても、

唯識」だなー。

 

お釈迦さまはこの「唯識」を

どうやって超えていかれたのかしら。

 

旅は、続くようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ちなみに、前野隆司さんは、

その後、脳の仕組みから、人間の

幸せの鍵は、無意識の小人たちに

あるのではないかと考察されて、

4人の専門家と、無意識を整える

方法について対談した本を出されました。

 

こちらの本は、

だいぶ前に読んだのですが、

とても面白かったです。

 ↓

対談のお相手は、

●東大卒のお坊さん、

●循環器内科のお医者さん、

合気道の達人、

●森の達人 の4人。

「無意識」をクリーンに保つ

整え方を探っておられます。

 

この本をご紹介した時の記事(2019年)

sakura-cafe.hatenablog.com

 

  ↓

2023まとめ(2)「唯識をお掃除しよう♪」に続きます。