新・東京イラストJournal

イラストレーターさくらみの日常絵日誌

2023まとめ(2)唯識をお掃除しよう♪

前回の話の続き。

 

唯識(ゆいしき)について、

とても分かりやすい本があるので、

ご紹介します。

唯識思想」は、

小説『西遊記』のお坊さんの

玄奘さんが、インドから、

17年の大変な苦労続きの旅の末に、

中国に運んできた仏教思想の

一つです。

 

発見されたのは、なんと

ヨーガの修行によって、なんだそう。

 

修行僧が、実践的なヨーガによって、

表層で働く心の混乱を鎮め、

心の内に深く潜っていくうちに

発見したという「八つの識(しき)」。

 

唯識」はこの八つの識から成っています。

唯識とは、

この世界には、どこまで行っても

「自分の心一つしかない(唯識)」

ということです。

つまり「一人一世界」。

 

さらに言うと、それが故に

「自分など、存在しない」

 

そして

「心の外に物は存在しない」

ということです。

 

例えば、

自分が見たと「思って」いるもの、

聞いたと「思って」いるもの、

さらには、

それを意識したのは自分だと

「思って」いるもの、

 

すべては自分の心が

「こういうものだ」と「思って」

作り上げた仮想の世界。

そんな心の内側が、外に投影されたのが、

今見えている世界です。

 

なのに、

外側に映った心の投影の世界を

「本物だ」と思って疑わず、

閉じ込められたような気になって

迷っているのが人間、ということです。

 

では、唯識とは、

そんな愚かな人間の心を

八層に分けただけのものなのか、

と言うと、そうではなくて、

その逆なんですね。

 

唯識は、自動的にはたらいてしまい、

簡単には出られませんが、

それゆえに、真に自由になる方法も

持っています。

 

つまり、悟るための

唯一の手がかりなんです。

 

まるで、何かのゲームみたいですよね。

 

生まれた時から

いつの間にか、このゲームに

参加させられてしまった私たち。

 

ほんと、冗談が過ぎる…!?

 

もう、こうなったら、

なんとかして、このゲームを

うまいこと楽しんで、

上がるしかありません。

 

さて、そのための方法とは、

一体なんでしょう?

 

ヒントは、こちらです。

 

お掃除です。

 

心のお掃除。

 

唯識の「外」に出ようとするのではなく、

逆に心の「内」に深く深く潜って、

一番深層の阿頼耶識(あらやしき)

が澄んでくるように、

せっせと心をお掃除しながら

生きましょう、ということなんです。

 

ちなみに、お掃除が大好きな

レレレのおじさんも、

お釈迦さまのお弟子さんがモデル。

 ↓

周利槃特(しゅりはんどく・チューラパンタカ)とは?レレレのおじさんの如く掃除三昧で悟りを開いた話

 

今まで、脳の仕組みや、

量子力学の本、仏教の本や、

非二元の本など、色々読んできましたが、

 

共通点が多くて、

「自分はいない」「自分は幻だ」

というのが、よく出てきます。

 

これが、また混乱の元で。笑

 

「そっか…

 こんなにこだわっている自分

 というものは、やっぱり

 本当はいないのかな」

と、一瞬はわかった気がするものの、

 

「いや、でも、この心は、体は、

 やっぱり、ここに確かに

 存在しているみたいに感じるし…」

と振り出しに戻ってしまう。

 

でも、それって、

いわゆる普通の感覚ですよね。

 

そんな「自分はいる、ある」状態を、

仏教では「法執」と呼ぶのだそうです。

(やっぱりちゃんと定義があったかー…)

 

この初期設定状態に

とどまっている限り、

無明のグルグルは、ずっと

続いてしまいます。

 

阿頼耶識(あらやしき)」は

考えようによっては

恐ろしいもので、

今までの「業(ごう)」も全部

溜め込んでいるし、

全世界とつながっている。

 

なんでも呑み込む大きな蔵。

 

だから、

戦争も、飢餓も、温暖化問題も、

政治家のキックバックも、

ジャニーズ内外の性被害も、

ニュースを見て、自分が気になるものは、

みんな、そこで渦を巻いているのです。

 

しかも、そこには

一層分、フタのような層がついていて、

 

それは「末那識(まなしき)」

と呼ばれる「自己執着心」の層

なのですが、

 

「自分、自分、自分…」と

常に言い続けているのですって。

 

「自分、自分、自分…」と

ずっと言い続けている部分が、

表層ではなく、

深層にあるだなんて。

 

これも冗談みたいだけど、なんか、

すごくリアルですよね。

 

お釈迦さま曰く、

すべての苦しみは「執着」から

生まれてきますので、

私たちは、生きていく中で

この「自我執着心」をできる限り、

無くしていかねばなりません。

 

そのためには何をしたらいいのか。

どんな風に、自我をお掃除を

していけばいいのか。

 

「他が先で、自は後」

の精神に生きることだ

この本の著者、横山紘一さんは

おっしゃっています。

 

例えば、出会った人の中に

「なんか、気に食わない人だなー」

といつも思ってしまう人が

いるとしますよね。

 

そんな時、必要になるのが

「あるがままのもの(真如)

 を見る智慧です。

 

「一味」「平等」

「偏在」「清浄(しょうじょう)」

 

気に食わないその人は、

自分と同一の「味」を持った人であり、

自分とは「平等」で、

あらゆるところに「存在して」、

「清らかなものである」

と看破すること。

 

でも、これがなかなか、

できないのが人間です。

 

だから面白い。

毎日が修行ですよね。

 

で、そういう人には「ありがとう」

って言葉を、自分からかけるのが

いいんですって。

 

そうすると、それが

阿頼耶識に届き、

阿頼耶識が澄んでくる。

 

最初は、自分のために言っていても、

お互いの阿頼耶識に届く。

 

つまり、お互いが、ちょっとずつ、

浄化されちゃうというわけです。

 

だから、今度、気に食わない人が

自分の前に出てきたら、

「逆にチャンス」ですよ。

フッフッフ。

楽しみにしていましょう♪

 

あと、体のどこかに不調がある方、

どうしても、

そこに文句を言いたくなりますけど、

どうか、その部分に

「ありがとう」と言ってあげてください。

 

その理由を、本文から引用します。

 

「(不平を言いたくなりますが)

 その前に次の事実を確認しましょう。

 

『たとえば、酒を飲み過ぎて、胃が痛む。

 それはアルコールによって、胃壁が

 破壊されたためである。

 

 でも、その直後に、わずかに生き残った

 細胞たちが、まるでアメーバのように

 動き始め、破壊された胃壁は短時間の

 うちに修復される。』

 

 またさらに、次の事実も確認しましょう。

 

「私たちは小腸で栄養を吸収しているが、

 それは小腸の表面にある約三千万本

 の繊毛のはたらきによる。

 その繊毛の細胞は、いちばん生命の

 短いものでは、たった二十四時間で

 その使命を終える。

 

 しかし、使命を終えた細胞の下にある

 細胞が、いわばところてん式に

 次々と押しあがってきて、栄養の

 吸収を維持し続けるのだ』

というのです。

(中略)

このような事実を知ってから、私は

どこか身体の調子が悪くなっても、

愚痴をいうことができなくなりました。

この身体は、まさに脅威の小宇宙です。

調和の取れたコスモスです。」

 

こんなことを知ったら、もう、

身体には感謝せずにはいられませんよね。

 

そして、もう一つ印象的だったのが

「電車でもし座れたら、

立っている人に感謝しましょう」

とのこと。

 

何故なら、

「他人の中で生きている限り、

 あなたが席に座れたとしたら、

 座っているのは当然ではなく、

 他の人が座れなかったからです」

と。

 

自分には見えていない何かや誰かが

支えてくれたおかげで、

自分も生かされている

ということ。

 

そこにいつも気づいていよう、

感謝していましょうよと。

 

これもなんだか、ハッとしてしまう

視点です。

 

唯識」では、

「依他起(えたき)」と言って、

すべての現象は、自分の力だけで

生じたものはなく、

の無量無限の縁にって

こるものだとしています。

 

つまり、

『一人一世界』のこの唯識は、

諸法無我』、つまり多くの縁の中に

たまたま浮かんでいるのです。

 

だから、「他が先で、自は後」の精神。

 

人の心の中には、

必ず神さま仏さまがいるものだ

とは、よく言ったものです。

 

阿頼耶識の一番深いところには、

きっと、お釈迦さまがいる。

 

(ちなみに、

お釈迦さまや、真に悟った阿羅漢は、

末那識と阿頼耶識そのものが

無いんだそうです…。

それはまた、深いので

もうちょっと勉強するとして)

 

とにかく、

そのお釈迦さまのお顔が

よく見えるように、

 

八層の唯識を澄ませていきたいと、

この本を読んで

あらためて思いました。

 

本には、ところどころに

宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩が

引用されていますが、

その深い解釈を読めば読むほど、

法華経の実践者だった賢治の

生き様にも感銘を受けます。

ぜひ、ご一読ください。

 

補足ですが、前回の記事で、

心は、司令塔ではなく、

「後付け」で、エピソードを作っている

と書きましたよね。

 

そのエピソードが

現実世界に映って見えているのが

唯識」であるわけですが、

 

一人一世界の「唯識」を、

「他が先で、自は後」の精神で

澄ませていくことが、

なぜ、「唯識」を超えることに

つながるのか…と言うと、

 

結局は、映っているもの(人、出来事)

は、すべて自分だからなのです。

 

この世のことは、

みんな自分が映しているのだ、

と分かれば、

内も外もなくなり、

一元に消えるのです。

 

でも…

 

これ以上のことを、

頭や理屈で分かろうとするのは

もう、やめておきましょうか。

 

うん、それがいい。

 

それより、せっせと、心のお掃除♪

明日も「レレレのレー♪」で、

がんばるノダ。

 

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