新・東京イラストJournal

イラストレーターのさくらみの日常絵日誌

連れ去られる 〜佐藤直樹個展「東京の秘境、そこで生えている…」

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6月は終了してしまう展覧会が多く、

駆け足であわわ…と見て回っているのだけど、

そんな中、ネットで何かの拍子に絵の一部の

画像を見て、「これは本物が見たい!」

と思って出かけたのが、佐藤直樹さんの個展だった。

 

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撮影オッケーとのことなので、細部を撮った。

 

 

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うねうねとした、植物のパワー…!

 

右横に、ずりずりと歩いて

見ていくうちに、初めて気がついた。

 

「…あれ?」

 

 

 

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絵に終わりがない。

 

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うねうね、うねうねと、

絵は続く。

 

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ベニヤ板に木炭という、シンプルな画材。

 

そっか、これ、

小学校の図工の時間に、彫刻刀を

使うときに嗅いだベニヤの匂いだ!

 

なつかしいな。

 

 

引いて見ると、こんな感じ。

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ジャングルにいるみたいだけど、

どれもよく見慣れた、

そこらへんにある雑草だったり

日本らしい低木だったりして、

その安心感もあるせいか、

なぜか不思議に心地よい。

 

見ている人は、ここではみんな、

ありんこや、カエルと、

同じ目線になっているんだよね。

  

なるほど、ありんこから見れば、

コンクリートだらけの東京だって、

熱帯ジャングルに負けず劣らずの

広大な緑の楽園なんだなぁ。

 

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話はここで、おおいに脱線するけれど、

この不思議な心地よさは、

大好きなムーミン童話集の一冊と重なった

 

ムーミンパパ海へ行く (講談社青い鳥文庫 (21‐7))

ムーミンパパ海へ行く (講談社青い鳥文庫 (21‐7))

 
 
 

 

ムーミン童話集は、

アニメで有名になったけど、

原作本のほうが断然面白い。

 

中でも、この『ムーミンパパ、海に行く』は、

他の、底抜けに明るくて楽しい冒険に満ちた

童話たちとは一線を画していて、テーマは

「家族はいかにして、それぞれの

 精神的危機を乗り切ったのか?」

というような、波乱含みの内容になっている。

 

ムーミンパパは、

まさに先日の記事で取り上げた

「ミドルエイジ・クライシス」(中年の危機)

の真っただ中で、

おんなじ話ばっかり繰り返したり、

家族の長として、偉そうな訓話を垂れてみたり…

まさに煙たい「おやじ」さん。

 

一緒に住んでいるチビのミィは、

そんなパパのことを

「あのひと、ぽっぽと湯気を立てていたわね。

 もう少し蒸気を吹き出させておけばいいわ」

とニヤニヤしながらチクリ。

 

一方、ムーミントロールも、自我が芽生えて、

秘密を持ち始め、かなり気難しいお年頃…。

 

子供の成長と共に、

そこはかとなく暗い影を持つように

なった家族…

つまり、私たちにそっくりなのだ。

 

でも、そんな家族の危機を乗り越えるために

取った「策」はさすがムーミン一家!?

 

なんと永年住んだ、平和なムーミン谷を

惜しげもなく捨て、

小さな船に乗り込んで、大海へと漕ぎ出すのだ。

 

たどり着いた無人島(正確には一人だけ、

変なおじさんが住んでいるんだけど…)には、

巨大な灯台がニョッキリ。

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ムーミンパパは

「これからこの島で、新しい暮らしを始める」

と宣言する。

 

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そこから家族一人ひとりが、

孤独で不安な気持ちに揺さぶられながら、

それぞれ、いろんな挑戦を始めるわけだけど…

 

まあ、これが、なかなかの迷走ぶりなのだ。

 

荒くれものの海と、岩だらけの島、

何をやってうまくいかない中で、

今まで家族のワガママも、

静かに深く受け止めてきたムーミンママが、

ついに壊れて、暴走を始める…

 

前置きがすごく長くなってしまったけど、

その、ムーミンママが始めた暴走こそ、

かつてムーミン谷でママが愛し、

大切にしていた庭の花や草や木や家具などを、

灯台の内壁いっぱいにペンキで描き始める」

ということだった。

 

 

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「もとのうちに帰りたいな。

 こんなおそろしい、荒れ果てた島や、

 いじわるな海はもうこりごり…」

 

そして、ママは

自分で描いたりんごの木に頭をもたせかけ、

「ママがいない!」と探し回る家族に返事もせず、

ふるさとに帰ったような平らかな気持ちで、

眠りに落ちていく…。 

  

 

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そのムーミンママの気持ちを、

はからずもここで味わえるなんて。

 

植物の絵に包まれるって気持ちがいいのだ…。

 

ちなみにムーミンママは、結局その後、

絵を描くことで、心を回復させていく。

 

やがて、小さな自分自身も、

植物のとなりに描き込むようになると、

チビのミィからたちまち横槍が入る。

 

「自分のことしか描かないなんて、

 自己チューなんじゃないの?」

 

でも、ママは、平気でこう返す。

 

「だってあんたたちは、いつも

 島の遠くのほうにしかいないじゃないの」

 

うん、いい、いいぞ、ママ!

 

役割的な「いつもの自分」を離れ、

やがて家族それぞれが危機を脱して、

心の成長を遂げていく、そんな物語。

 

 

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さて、脱線が長くなってしまったが、

ここで再び、佐藤直樹さんの絵へ。

 

ぐるりと歩いた最後の辺りで

(現在、150m位らしい)

大きな変化が。

 

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下には木炭の粉。

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そう、ここから先はまだ制作途中で、

この絵そのものが未完。

 
制作中の佐藤さんのVTRから。
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下書きもせず、フリーハンドで、

一番下の部分は寝転びながら、

全身を使ってどんどん描いていく。

 

「どうして、佐藤さんは、

 こんなにも入り込んで、

 ぐんぐん描けてしまうんだろうか?」

羨ましいなあという気持ちもあって、

湧いてきた私の疑問。

  

植物や雑草がモクモクと

すごい勢いで生い茂っていくエネルギーが、

佐藤さんに、そのまま取り憑いてしまった

 …ってこと?

 

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ithasgrown.com

 

そのヒミツを知りたくて、出口で

佐藤さんの本を購入。

 

無くならない: アートとデザインの間

無くならない: アートとデザインの間

 

実は、佐藤直樹さんという方が

どういう方なのかは、

ここまでほとんど存じ上げなかったのだけど、

とても有名なグラフィックデザイナー、

アートディレクターさんだった。

 

そんな佐藤さんが、あるとき、

「取り壊された大学跡地の地下が空いている

 から、そこを使って何かしてくれないか」

と頼まれ、 

 

「何をしようかな」と近所を歩き回っていたら、

植えられている木が目に入り、

 

「じゃあ、その下に根っこを描いたら、

 上の空間とつながるかな」と思ったものの、

見えないものを想像して描くのは

難しかったので、

 

「では、目に入った雑草や木をストンと

 そのまま落として描いてみよう。

 そうしたら、何かの感覚が

 開かれるかもしれない」と描き始めた。

  

でも、いざ始めたら、きりがなくなって、

仕事の合間にずっと描いているが、

いつ終わるのか、自分でも全く先が読めず

よくわからない…

 

ということなのだそうだ。

 

以前は、そのことが、つまり何の役にも立たないような行為に邁進することが、とても後ろめたく、もっとちゃんと人様の役にたつことを探さなければと考えたのですが、結局のところ、何をやっても、役に立っているのかいないのか、わからないのです。であればもう、無意識の奥底から湧き上がって来る力に身を委ねるしかないだろう、それがわたしの現在です。

(前掲書「無くならない:アートとデザインの間」257ページ)

 

こと、アートにおいては、

「役に立つ」か「立たない」かより、

「何かの感覚が開かれるかもしれない」

という直感は、とても頼りになるものだと思う。

 

でも、それって、本当にやってみなければ

わからないことなんだよね。

 

絵を描くこと、アートに関わることが、

「役に立つ」か「立たない」か…については、

昔からいろんなところで議論されてきた事

だけれども、

 

少なくとも私は、絶対に「役に立つ」

と思っている。

 

たとえば、私は、

311の震災直後で落ち込んでいるとき、

気持ちをなんとか切り替えようとして見た

岡本太郎展』で、

ものすごーーーく元気をもらったし

(↑正直、太郎さんの絵はよく見に行って

 見慣れていたので、かなり意外だった)

 

何かでガックリしていたときに読んだ

『おんな一匹ネコ二人』という、

伊藤理佐さんの、書きなぐったような

マンガに大笑いして、

幸せすぎて、世界が輝いて見えた事もある。

(このマンガが私の生きる力になった!と

 言い切れるのは、私だけかもしれない。

 ネコ好きでもないのに…笑)

 

鄙びた風景画の、

大展覧会を見に行ったつもりが、

スミっこにあった「常設展」の出口の脇で、

横尾忠則さんのエログロな絵画に出会い、

その新鮮さに衝撃を受けて、

「人間って、自由に生きていいんだ!」

と強烈に目を開かされたりもした。

 

下手でも上手でも関係なく、そこから

何かしらの学びやパワーをもらうのは、

それが「人が創ったものだから」

なんだよね。

 

佐藤さんが「いつか辿り着きたい」

と本の中で言っておられるような

「自意識、自我が消失している絵」とか、

「どうしてもそうなってしまう絵」の境地に、

(つまり、ムーミンママがたどり着いたような絵の境地に)、

ひょっとしたら私は一生かかっても、

たどりつけないかもしれないけど、

 

でも、この一文、すごく心に残った。

 

誰が描いたものであれ、絵に連れ去られたいだけのなのです。ここから連れ去ってくれる絵と出会いたいだけなのです。絵とはそういう力を持つものなのですから。(同前掲書152ページ)

 

連れ去られる…

 

連れ去られたい…

 

そう。

 

それこそ、ほんとうに絵の魅力。

 

だから私も絵を描いているんだ。

 

それを思い出させてもらった。