新・東京イラストJournal

イラストレーターさくらみの日常絵日誌

あなたや私は、どこからやって来たのか?

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罪悪感を持たずに済む、

この小ささがまた魅力♪ ムフフ。

 

さて、この日、

従姉とおしゃべりしたテーマは、

お仏壇と、お墓のこと。

 

お正月の震災もあり、

人にとって「死」とは何なのか、

「お墓」や「お仏壇」とは何なのか、

私にとって、ちょうど、

考えを深めざるを得ないタイミング

となっていました。

 

従姉は、それをまた

両手で深くすくい取ってくれる人で、

会話の中で、

大切な気づきをもらいました。

 

亡くなった方たちの懐かしい話

をすれば、

 

そこからすぐに、

生きている親類家族の話にも

つながっていきます。

 

思えば、亡くなったひとたちの

笑顔や、生き様、性格、

小さな仕草、思い出、

その一つ一つが、脈々と、

自分の今につながっていることに

あらためて気付かされます。

 

今は、「お墓」も、「お仏壇」も、

時代と共に価値観が変わりつつあり、

色んな考え方、やり方がありますし、

誰かに「こうだ!」と

押し付けるものでもありません。

 

私も、自分の父が、

二十歳の時に亡くなるまでは、

お墓は遠いものでしたし、

お仏壇にも手を合わせてはいましたが、

それは自分のものではなく、

「おばあちゃんの大切なもの」

という感じでした。

 

でも、人は誰でも人生の中で

身近な人の「死」と

向き合わざるを得ないタイミングが

やってきて、

それは、お墓とは切り離せないもので

大切な学びの機会になります。

 

縄文時代のもっと前から、

人にとって、お墓は大切なものでした。

 

今でも、遺跡が見つかるたび、

私たちは、そこにご先祖様が

生きていた証を見ます。

 

すると、何故か、勇気づけられる。

 

遺跡の中に、お墓があると、

大好きな人を大切に見送った

その気持ちに、

共感とあはれをおぼえ、

 

それでも悲しみを乗り越えて

「今を生きようとした」先人の

思いを直感的に察します。

 

思えば、

自分の心を整理したい時、

シャキッとしたい時、

 

今は亡くなってしまった、

懐かしい人たちの前で手を合わせ、

感謝することは、

ものすごく深い行為ではないでしょうか。

 

また、「お墓」は、不思議な場所で、

年に何度か、家族と

顔を合わせる場であったり、

ずっと会えずにいた親類縁者に

偶然ばったり会えたりして、

 

生きている人と人を、実際に

繋いでくれる場所でもあるんですよね。

 

お茶の先生は、先日のお稽古の時、

仏壇に供えるお花、お灯明、お線香は

「慈悲なんです」と

おっしゃっていました。

 

 

「慈悲ということは、光ということ。

 光を供え、

 光を見せてもらうということ」

なのだそうです。

 

多様化の時代、

少子高齢化の時代に、

「お仏壇」や「お墓」など、

形にこだわることは、

ないのかもしれません。

 

でも、昔から受け継がれてきた

祭式や、形の中には、やはり

「光(思いやりのようなもの?)」を

互いに交換できる

わかりやすさがあるように

思います。

 

先人に感謝する「場所」を

持てることが大切であり、

そうなると、

今ここにいる自分にとっては、

「お墓」や「お仏壇」ほど、

分かりやすい場所はないです。

 

もちろん、人によって、事情は

様々かもしれません。

 

が、もし今、「お墓」や「お仏壇」を

持っているなら、

貴重な場所を持っている、

ということで、

大事にしてみてはいかがでしょうか。

 

そして同時に、次の世代を生きる

若い子達に、どうやって、これを

つないでゆくのか。

 

ゆくゆくはどうしても

「墓じまい」が必要なら、

どういう形ですればいいのか。

 

お墓やお仏壇は、どうしても、

3世代以上は「知らない人」

になる可能性が高いので、

どこかで区切りも必要です。

 

これに関しては、

「生きている人が、生きているうちに」

先人と、生きて残される人への、

両方への思いを込めて、

責任を持って、

準備していくことではないかと

思うんです。